テレビがすごいと思うこと
朝起きて仕度をして、電車に揺られて会社に行って、仕事をして、電車に揺られて帰ってきて、風呂に入って寝る。
私の毎日のルーティーンは、おそらく世の中の会社勤めのひとと極めて似通っているはずだ。
けれどもその時間ゴマの中で考えれば、人によって細かい部分は違っている。
私は平日、朝起きて帰って寝るまでテレビを観ない。
別に観たくないわけではなく、家が会社からすこぶる遠い私の時間割の中ではテレビに割く部分がないのである。
というわけで、世の中の動きを知るためには大抵ネットのニュースに頼っている。
最近は便利になったもので、新聞をとっていなくたってネットニュースをみれば、大抵のことはすんでしまう。
新聞のインクの香りやら、他人の不幸の人生相談なんかの叙情を感じられないということはなんだか寂しいが。
それに、SNS(少し前まではショートメールのことだと思っていた)という手段にも最近はもっぱらなれてきたので、意外とテレビを観なくても世界から断絶はされないことが分かった。
けれども、そういう日々を過ごしているからこそ、情報と言うのはこちらがしっかりと欲しない限りは正確なものは入ってこないということに今更ながら気がついた。
色々な情報は入ってくるが、どれもこれも断片的なもの。
ネットで流れている情報は、思っている以上にそれをアップしている第三者の思想というものが無意識のうちに流入していたりする。
ネットニュースにしたって、気づくと随分遠いところまできていた、ということがあるものである。
だから、手放しにそれらを信じることができない。
同じ情報を得るにしても、いくつかのサイトをあたってみて、それで自分で判断を下すしかない。
意外にこの取捨選択はアナログだな、と思いながら、テレビや新聞ってのは本当にものすごいメディアであると、改めて思うのである。
何故って、テレビや新聞は分母が少ない分それにかかってくる責任も大きいわけだ。
その責任をしっかり負いながら情報を発信するということは、並大抵のことではない。