子供の成長と親
子供の成長というのは全く早いものである。
ついこの間生まれたと思っていた子が、あっという間にあるいてしゃべっているのである。
我が愛すべき甥っ子も、どんどんこまっしゃくれたがきんちょになりつつある。
つかまり立ちが始まるようになってからというもの、我が強くなってきたのか、彼のおもちゃをたまたま持っていたりすると、もぎ取るようにぶんどられる。
食べたくないものを与えようとすると、心底嫌そうにぐずる。
絵本を繰り返し四遍も読まされる。
いないいないばあで容易に笑わなくなった。
とまあ言い出せばきりがない、些細ながらも重大な変化が、彼の周りで日々起こっている。
すると、その母親のほうも毎日毎日すこしずつ変わっていく。
偉そうに言うと、母親のほうでも日々少しずつ成長しているのだ。
よく、親は子供と一緒に成長するというが、あれだ。
まさにそれだ。
かの母親というのも私の姉のことだが、我が姉ながら本当に頼りない女であった。
頼りないばかりでない、何もしない。
それが我が姉であった。
けれども、子供が産まれてからと言うもの、産まれてばかりのときこそなんだかふわふわしていたが、段々子供のほうでも多少わけが分かるようになってくると、俄然姉が頼りになるようになった。
ちょっとしたことで動じないような、家庭の中心たる母親像に、遠回りながら近づいてきているのがわかる。
そんな姉を見ていると、人一人産み育てるということの重大さをひしひしと感じるようになった。
人を育てながら自分も成長する。
そんな機会だけでも、それは人生での得がたい宝である。